+ちゃんくんです。
神様のさばきによって主を知るというストーリーを見ました。
■士師記
士師記のさばきつかさの時代はとくにそうである。
民は神様から堕落している。そのときに神様は敵の手を通して民をさばく。
そうすると、民は立ち直って神様に助けを叫び求める。
神様はその願いの声を聞いてくださり、さばきつかさを送って下さる。
さばきつかさが納めている間はよい子だが、死ぬとまた堕落する。
士師記はそれの繰り返しである。
■預言書
預言書にはこのテーマがよく出てくる。
ペリシテ、アモン、モアブ、アッシリヤ、バビロン、エジプトのような国は神様に逆らっている。
このようなときに、神様は直接彼らにさばきを行われる。
そのさばきにはいろいろな種類がある。わざわいを送ったりもする。
彼らはさばきが行われるときに主を知る。
□コメント:
一つの国がさばきによって主を知るというのの最初は、出エジプトだろう。
パロはさばきが行われているときに主を知ったのだろう。
死んだあとには主を知って、ほめたたえるというようなことはできない。
エリヤとバアルの祭司たちの戦いのときにも、どっちの神がほんとかを戦う。
このストーリーではさばきが行われたから主を知ったという意味ではない。
民は一時的には主を知るが、すぎにまた偶像礼拝にはしってしまう。
※エリヤとバアルの祭司たちの戦いのストーリーは預言書に出てくるわけではない。
ダニエル書にも同じようなストーリーがあるがちょっと違う。
バビロンの王はダニエルの三人の友達にバビロンの神々を礼拝するように命じた。
しかし、彼らはそれを礼拝しなかったため、彼らをさばいた。
それでも、神様が彼らを守られたので、反対にそのさばきをするように王に命じられた人が、
死んでしまった。このときに王はイスラエルの神が主であることを知った。
もう一つ同じようなのがある。ダニエルは自分と同じ位の人たちの悪い訴えにより、
ライオンの穴に落とされることになった。王はその夜、ずっとダニエルのことを心配した。
王は起きたときすぐに獅子の穴にいって、イスラエルの神はおまえを助けたかと尋ねる。
質問:ここで王はイスラエルの神が主であることを知っていたのか。
だからおまえの神は救ってくれたかと尋ねたのか。
-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------