こんにちは、+イトウショウです。
雀や燕について聖書の中から探しました。
『雀』
●創世記7:14
彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる首里の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、
翼のあるすべてのものが
みな、はいった。
この箇所は直接的に『雀』という言葉は出てきていないが、太くしてある部分が雀というヘブル語と同じである。ノアの洪水と詩篇84篇とのつながりとして
は、ノアの洪水では始めに降った雨がそのまま降り続いて呪いになったのに対し、詩篇84篇では初めの雨は呪いとはならず祝福となっている点である。
●創世記15:10
彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、
鳥は切り裂かなかっ
た。
アブラハムは自分の正統な相続人がいないことを主に訴えると、主は必ず子孫を与えてくださることを約束した。主はアブラハムにカナンの地を与えられたが、
彼はその確証を主に求めたので、主は雌牛と雌やぎと雄羊と山鳩を持ってくるように命じた。そしてこの箇所にはアブラハムがどの様にしたかが書かれている。
この箇所でおもしろいことは、9節では「山鳩」と言われているのに対して、この10節では山鳩を指す「鳥」という言葉が「雀」という言葉と同じ点である。
この言葉はモーセ5書の中にことのほか多く出てき、特にいけにえ制度において多い。
『燕』
詩篇84篇に使われている「燕」をStrong's Numberで検索すると、他に1カ所しか出ていない。
●箴言26:2
逃げる雀のように、飛び去る
つばめのように、いわれのないのろいはやって来ない。
雀が逃げるのにも、燕が飛び去るのにも何らかの理由がなければおかしい。例えば人間が近づいたならばそれらは飛び去ってしまうであろう。それと同じよう
に、人間に呪いが下されるのにも何らかの理由があり、それは見つけにくいものである。私たちはその呪いの原因を突き止め、それにふさわしい態度を取らなけ
ればならない。すなわち、原因が自分の罪であるならば、即座に悔い改めて祝福を求め、試練であるならば忍耐して終わるのを待たなければならない。
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Shou Itou
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