+ちゃんくんです。
詩篇65:4節には幸いなことよ。あなたの大庭に住むその人はという言い方がある。
幸いということばは詩篇の中にたったの25回しか出てこない。
盾ということばで見たモーセの歌の申命記33:29節にはしあわせということばを出ていた。
しかし、幸いということばではなかったので、気がつかなかった。
箴言の中にはけっこう幸いということばが出てくる。一番最初が箴言3:13節である。
聖書の中で幸いがつかわれている一番最後の箇所は黙示録22章14節である。
いのちの木の実は一種類だけではなく、十二種類の実がなる。(黙示録22:2)
神様の御国の門はぜったいにしめられることはない。
その門を通っていくと川が見えて、その後に神様の御顔を見ることができる。
盾ということばは新約聖書の中でエペソ6:16節にしか出てこない。
門は木でできているので、火矢を放って、それを焼き尽くそうとする。
84篇に出てくる力は守るほうの力のことを言っている。
84篇は戦いの前、もしくは戦いの途中の話ではなく、戦いで勝利した後のことを話している。
ヤコブの子供であるアシェルはアシュレー(幸い)ということばと同じである。
盾といったときに、門のことを考えればよいのか。
わざと敵は戦いのときに門をねらって攻撃してくる。
エペソのところにある盾ということばは門というのことばの派生語である。
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