+ちゃんくんです。
初めの雨を見るときの見方についての説明を書きました。
初めの雨について調べるときに、祭りを通して見るということは一つの手がかりである。
初めの雨ということばは直接は聖書の中に二回しか出てこない。(詩篇84篇、ヨエル2章)
先の雨という言い方は申命記11章14節にある。
普通は初めの雨という言い方が出て来たら、後の雨という言い方もある。
しかし84篇だけは初めの雨だけしかない。
聖書百科の中にはイスラエルの祭りのカレンダーがのっているはずである。
そのカレンダーの中には雨のことも書かれている。
うちが持っているビジュアル聖書百科、ジョン・ドレイン編、いのちのことば社。
その本にのっている祭りのカレンダーの説明の文章の中には、
捕囚後のユダヤ人たちは七月のラッパが吹き鳴らされる日を新年としていたと書いてある。
七月にも雨がふるし、過ぎ越の祭りのときにも雨がふる。
だから、どっちが初めの雨かわからない。
なぜなら、過ぎ越の祭りも年の初めとも言えるし、七月も年のはじめというからである。
このような問題があるので、まだ初めの雨がなんなのかはわからない。(考え中)
けれども、今わかっているのは、その雨は恵みであるということである。
この初めの雨というのが、ペンテコステの御霊をあらわしているのかというのを確かめたくて、
この初めの雨という意味を研究しているのである。
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+審也@カンノファミリー
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