Subject:
85篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/06/01 11:09
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

8節で詩人は仰せを聞きたいと言っているが、具体的に何を聞きたいということになるのか。
10-12節の中は恵み、まこと、義、平和ということばが出てきて、何かわかりそう。
しかし、7-9節の内容がわからない。

ここの構造は7-9節と10-12節の分け方でいいのだろう。
先週の詩篇にもあった並行が7-8節にある。
7節は見せてくださいで、8節は聞かせて下さいである。

今週の詩篇の場合は先週の並行の反対である。先週は聞いて下さいが先で、見て下さいがあとだった。
84篇の場合は聞いて下さいと見て下さいだった。
しかし85篇では聞かせて下さい、見せて下さいと言っている。

では85篇の9節の中はどうなっているのか。
9節の中で近いと留まるという並行がある、また主を恐れる者と我らの地が並行していて、栄光と救いが並行している。
恵み、平和、見る、聞く、民、地、近、留をたしたときの言い方は何か?

恵みと平和がすべての聖徒たちとともにあるようにという言い方である。
これは手紙を書くときの決まった言い方である。
1-6節では怒りがとどめられるということが救いである。

1節の御国に恵みを施しというのはヘブル語にはない。
2節にセラがあって、3節から怒りの話が始まるので、1-2節と3-6節とわけられる。
4節でしかこうしてくださいと頼んでいるところは1-6節の中にはない。

7節を1-6節の中にいれる人もいるが、やっぱり7節はあとのところにつくんだろう。
みんな7節を前にくっつけるひとは、1節との主よ。恵みにまどわされる。
このように見てくるとますます、1-6節と7-13節にわけなければならないことがわかってくる。

救いと返すということばをわざわざ分けて考える必要はない。反対にいっしょのものとして考えなければならない。
お父さんが怒りをおさめたら、普通のお父さんになるのではなく、そのお父さんは恵みと平和を下さる。
中間というものがない。罪を犯しているときは地獄にいて、許された地に戻るのではなく、天国にあげられる。

私たちは、天国から落ちたので、天国に戻らなければならない。
90篇には神さまの御怒りの前では私たちはたっていられませんというテーマが出てくる。
この詩篇出だしはあなたはとこしえにわたって私たちの住まいですというところである。

イスラエルは自分たちの罪のために、さばきを招き、バビロンという穴にはいっていた。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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