Subject: 詩篇86篇 出エジプト記32-34(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/06/07 14:20 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 出エジプト記34章には詩篇86篇の5節と15節にある主の御名についての説明があ る。この言い方がでてくるのはその箇所が最初である。それで出エジプト記32- 34について考え、86篇について何が教えられるのかを研究しました。 ■概略 出エジプト記32-35の概略を考える時は出エジプト記19, 20章まで戻る必要があ る。そこで栄光の雲によってご自分を表してくださった神はモーセをシナイ山の 上に招き、十戒を与えてくださった。そして21-31の部分で十戒の判例、幕屋の 作り方を教えてくださるのである。しかし、32章には民の反逆が書かれている。 民はモーセが40日も山の上にいたので、心配になり、アロンに願って金の子牛を 作る。そしてそれを礼拝し、祭りをしてしまった。それを見たモーセは怒り、十 戒を砕いてしまった。神も民に対して怒られたが、モーセの取りなしによっても う一度十戒を与えてくださると言ってくださった。それでモーセが山に登ると主 は栄光を表し、御名の宣言をしてくださったのである。 ■つながり 詩篇86篇で詩人は自分が弱い者、貧しい者であると告白し、一日中祈って助けを 求めているが、イスラエルの民は違い、偶像礼拝をしてしまった。しかし、モー セは民のために取りなしの祈りをした。 そのように祈っていたモーセに対して神は恵みを与えてくださり、ご自分の御名 を宣言してくださったのである。そして祈りを聞き、イスラエルを続けてご自分 の民としてくださったのである。 モーセは民が偶像礼拝の罪を犯した時に敵の物笑いになっていることを見て怒っ た (32:25)。しかし、神の恵みがなされ、みわざがなされる時に国々は御名をあ がめるようになるべきなのである。そして正しい状態ならば国々は恐れて神のと ころに来るということは詩篇86篇に書かれている。また詩人は敵が恥を見るよう にと願っている。モーセの時代に民は恥を見ていたが、敵が恥を見ることを求め るのである。 詩人とモーセは同じ祈りをしている。詩篇86:11で詩人は道を教えてくださいと 願っているが、モーセは33:13で同じ祈りをするのである。 神はモーセを慰めてくださり、続けて導いてくださるのである。 ------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com May God bless you! -------------------------