こんにちは、+イトウショウです。
詩篇86篇5節と15節に出てくる御名の栄光について見ました。
●出エジプト記34:6-7
主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそ
むきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」
この箇所は前後関係が非常に大切である。この34章の前の32章では、イスラエルがモーセが山から帰ってくるのが遅いのを見て、イスラエルを指揮する立場
にあったモーセの兄アロンに金を捧げて、アロンは金の仔牛を造って、それを自分たちをエジプトから連れ出された神であると宣言した。その同じ時、モーセは
シナイ山の上で神と交わりを持ち、神がモーセに十戒を与えていたときであった。モーセは山から下りるとイスラエルが仔牛を造って、祭りを催して騒いでいた
のを見た。それで、彼は十戒の板を砕いてしまい、イスラエルを裁く者たちを集めると、レビ族が集まったので、レビ族はイスラエルを聖絶した。その後、モー
セは再びイスラエルの中から出てシナイ山に登り、主はモーセに表れてご自分の御名を宣言された。
イスラエルが主に選ばれたのは、彼らが弱いからであった。弱い者はへりくだって詩篇86篇に書かれているような祈りを捧げなければならないが、イスラエル
はそのようなことをしないで、試練が来るとすぐに文句を言って主に逆らった。それでも、主は憐れみ深い神であるので、イスラエルを完全に滅ぼすことはされ
なかった。この御名は永遠に続くものであり、私たちの時代においても変わらない。私たちはその御名を崇め、主の憐れみや裁きを求める。
この箇所は主の御名は~であると記されている有名な箇所であり、後の箇所に多く引用されている(ネヘミヤ9:17等)。
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Shou Itou
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