Subject:
詩篇86篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/06/08 11:06
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

神さまがともに私たちの歩んでいる道を歩んでくださるのならば、それが御心にかなっていることがわかる。
出エジプト記33:18節の前とのつながりがぜんぜんわからない。
出エジプト記34:11-のところの命令は十戒の第一戒と、第四戒をあらわしている。

出エジプト記の判例法は十戒の第四戒ではじまって、第四戒で終わる。
十戒の第一戒のあなたはエジプトの国から連れ出したで、第四戒は安息にはいるということである。
これはまさしく出エジプト記の一番大切なテーマである。

神さまがともにいることを知るためには、神さまが与えた命令を守ることでわかる。
敵は民を攻撃してくるときには神さまが私たちとともにいることを最初は知らない。
しかし、神さまが私たちとともにいることを見たら、すぐに死んでしまう。見るだけで死ぬ。

御顔の栄光はイスラエル、神さまの民に特別にあらわされている。
敵は神さまの栄光を見たら、死んでしまうの私たちにだけしか見せられない。
もし、イスラエルが罪を犯しても、悔い改めるなら神さまは私たちの神となってくださる。

申命記30章4節にもあるように、神さまは聖徒たちが天の果てにおいやられていても集められる。
神さまが私たちに与えている命令はもともと祝福の中で考えるものである。
キリストが書いてくださったみことばどおりに、御霊の働きによって歴史が動いていることにおいて御名の栄光を見ることができる。

A House For My Nameにおいて一番神様の御名の栄光があらわされる。(第二サムエル7章・第一列王記8章)
神様のあわれみは戒めに一番あらわされている。
神様の戒めには歴史もふくまれている。(十戒の中に歴史がはいっている)

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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