Subject:
詩篇87篇「木曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/06/16 10:59
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

子羊の血と泉はつながっている。子羊の血によって罪が赦されると、いのちの水を飲める。
モアブ、アモン、モアブはイスラエルがカナンの地に行こうとしているときに水を与えなかった。
しかし、ヨハネ4:14節でサマリヤの女はキリストに井戸からくんで水をあげる。

モーセは神様の命令によりイスラエルのために岩から水を出す。
いのちの書は一つだけではない、数々あるものである。(黙示録20:12)
詩篇87篇はいのちの書である。なぜなら、4節に名前が書かれている。

都の中には水のみなもとがあるわけではない。都の上からきてそこから流れ出る。
構造はすなおにすれば1-3せつと4-7節にわかれる。なぜなら、3節のところにセラもあるからだ。
都を愛していること、また都にいのちがあることをあらわす事件がいくつかある。

都が建てられることによって平和が与えられる。門は神様の盾、守りをあらわしている。
神様を愛することによっていのちが与えられる。
それと反対にもし、私たちが神様を裏切れば、私たちは死ぬ。

87篇の生まれるということばは創世記の生めよ。ふえよの生めよと同じことばである。
7節のあなたにあるというのは、神様ではなく、シオンのことをあらわしている。
私たちの中には心の板があって、その心の板にはみことばが書かれている。

みことばとは神様のみこころのことである。みことばが与えられることによって神様のみこころを知ることができる。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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