Subject: 詩篇88篇 神の怒り(将) |
From: Shou Itou |
Date: 2005/06/22 13:43 |
To: "+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 詩篇88篇に出てくる4テーマの一つである神の怒りについて考えました。 裁きを受けているような状態というものは、普通は神の怒りによって引き起こさ れているものであり、この詩篇でもその原則は現れているが、聖書の中ではそう ではない場合もあり、ヨブなどの人物がそうである。それでは、何故神は人類に 対して激しい怒りを発せられるのか。それは人間が神の御前に罪人であるからで ある。主はそのような罪人たちの中から無条件でイスラエルの民を選び出し、ご 自分の御民として全世界に宣言されたのに、イスラエルはその恵みを忘れて主に 反逆したので、主は怒って裁かれたのである。 歴史においてイスラエルは何度も罪を犯し、それによって神の怒りが頂点に達し たのがAD70年の裁きである。イスラエルは御父が送られた御子を信じず、その御 子を殺してしまい、その働きを相続して御子を伝えた弟子たちをも殺してしまっ た。キリストはご自分の同胞であり兄弟であるユダヤ人たちのために贖いの業を 成したが、彼らは裏切って遠く離れていってしまったのである。 神から怒りを受けているということは神から離れているということであり、いの ちなる神から離れているということは死を表す。つまり、裁かれている人は霊的 に死んでいるのである。その裁きを取り除いてもらうために神の御前に自分の罪 を悔い改め、その悔い改めが神に認められるならば、その人は死から復活し、神 の御前において神が友として認めてくださり、交わりを持つことが出来るのである。-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkcity.ne.jp