+ちゃんくんです。
昨日は89篇全体を三つにわけた。今日は特に19-37節のダビデの契約と言われる段落の内容を見たい。
28-29節は35-36節あたりに似ている。(子孫、王座が続くというテーマがある)
24節に真実と恵みはダビデとともにあると言っていて、33節では真実と恵みをダビデからもぎとらないと言っている。
44-45節のところではダビデの王座がだめになっているという話をしている。
最初のところはきれいに恵み・真実と王座という順番で来ていたのだが、38-45節と46-48節のところでちょっとおかしくなる。
38-45節で言っている内容は王座が捨てられたということだが、その意味は恵みと真実が捨てられたということである。
そして、46-48節は王座はとこしえと言うが、人はじつにむなしいと言っている。
このように38-45節と46-48節を考えることができるのか。
52節みたいな、巻の最後についている決まった言い方はこの詩篇につながっていると見るべきなのか。
ダビデが神様にあなたの家を建てたいと言ったから、神様から契約が与えられた。
今日の通読の箇所の詩篇6篇には89篇に似ているテーマがあった。
また、88篇に出てきたよみはあなたをほめたたえませんというテーマも直接出てきた。
38-45節と46-48節のところの内容をみるのはすごくむずかしい。
真実・恵みと王座というテーマが並行して書かれている詩篇であることをたしかめるためには第二サムエル記7章見る。
どう見ても89篇の言い方は90篇につながっている。
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+審也@カンノファミリー
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