Subject:
詩篇91篇「木曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/07/14 10:04
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

今日は今週おろそかにされている14-16節のところについて見る。
91篇の中で病気についての話は目立つので、そこについてはよく見た。
しかし、14-16節はいつもと同じことが出てくると思っていて、あまりよく見ていない。

今日の通読の箇所でなるほどと思ったところが一つある。
それは、91篇には真理がとりでという言い方があって、イザヤのところには偽りが避け所という言い方があった。
偽りの避け所という言い方は直接ではないが、イザヤ書28:15節にある。

一番の正しい人は、ただ真理のバリヤの中にはいればいいから簡単である。
それなのに、二番の人はなぜ偽りのバリヤの中にはいってしまうのか。
偽りのバリヤの場合は見えるが、真理のバリヤの場合は見えない。

真理のバリヤの場合は見えないので、反対によく攻撃されてしまう。
真理のバリヤのように見えない軍勢がいるというストーリーが第二列王記6章にある。
神様は高い所に住む者をひきずりおろされる。(イザヤ書26:5)

なぜ、みことばが偽りと戦うための武器になるのか。
みことばには真理が書かれていて、神様がやると言ったことは、絶対に行われるということが書かれている。
91:14-16節の中が全部同じ言い方になっているのかはわからない。

内容としては並行していることはかわりない。
14-16節が絶対に行われるということを信じていることが、隠れ場に住むということである。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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