+ちゃんくんです。
92篇のだいに安息日のための歌という言い方がついている。
1節を読んだときに、安息日のための歌という言い方の意味がわかるはずである。
1節の良いことですはトーヴというヘブル語の善ということばである。
善ということばを聞いたときに創世記の創造の箇所を思い出さなければならない。
七日目の安息日に神様はすべての創造された被造物を善と宣言された。
しかし、92篇は12-15節で正しい者は木のように栄えると言っているので、再創造の歌であると考えることができる。
三年前のさいわいネットの人たちが考えた構造では4-5節の間を切っている。
14節の老いてもなおを実を実らせという言い方は永遠のいのちのことをあらわしている。
前回は90篇、91篇、92篇の三つの詩篇のつながりを見たかった。
そのつながりのための手がかりはいくつか出ている。だから今回はそのつながりを見よう。
もし、三年前の構造を分解するならば、真ん中のところをわけることになる。
真ん中と言っているところは5-11節のことである。
4節と5節を分けて考える構造は90篇、91篇的構造である。
わざと同じ話がされているところを二つにわけて、前と後ろの段落にいれる。
4節でもみわざが出てきて、5節でも出てくる。それぞれが半分ずつではない。
前回までは構造を考えるときに全体を大きく分けて三つにしていたりした。
しかし、最近の考え方では三つにわかれないよねということになっていた。
4節の頭にキーがあって、8-11節の中はヴァとキーでつながっている。
そうすると、真ん中を二つにわけるときに、5-6節と7-11節までになる。
7-11節は12-15節と並行している。そして、5-6節は1-4節に並行している。
1-4節は神様のみわざを喜ぶということをいっていて、5-6節で悪者は神様のみわざを知らないということを言っている。
1-4節で、正しいものは神様に感謝している。その答えとして12-15節でその人に恵みがかえってきた。
神様を知らない愚か者はさばきの時に、強制的に神様を知るようにされてしまう。
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+審也@カンノファミリー
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