+ちゃんくんです。
詩篇90篇、91篇、92篇のつながり、また並行されているテーマをみました。
91篇と92篇はいと高き方という言い方で始まっているが、90篇だけはそうだはない。
また、91篇と92篇には神様は私を高くあげてくださるという言い方もある。
90篇と92篇にだけで、91篇には出てこないテーマがある。
それは、神様はとこしえであるという言い方である。
また、神様のみわざを見せてるという言い方も90篇と92篇にしか出てこない。
92篇の14節の年老いてもなという言い方は永遠のいのちのことをあらわしている。
そうすると91篇の16節に並行しているということになる。
16節のところに私を長いいのちで満ちたらせという言い方がある。
90篇でも91篇でも、92篇でも言われているテーマがある。
それは神様がとりである、また住まい、岩ということである。
90篇では神様の怒りによって詩人が苦しい状態にいる。
しかし、92篇では神様の怒りによって悪者がさばかれている。
90篇を学んだときにも言っていたが1-2節は創造の話をしていると言っていた。
また、今回の92篇の学びでも92篇の1節は創造の話であるということも言っている。
90篇、91篇、92篇に続けて昼と夜という言い方が出ている。
90篇で人はうつろう草のようになってしおれるといっている。
92篇でも、愚か者は青草のようにしおれると言われている。
90篇では喜ぶということが後半のほうで言われているが、92篇は喜ぶということは前半のほうで言われている。
90篇には書かれていないが、91篇と92篇で敵に対するさばきについて言っている。
-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------