Subject: 詩篇92篇 良い(将) |
From: Shou Itou |
Date: 2005/07/19 16:32 |
To: "+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 詩篇の中から、この詩篇に使われている「良い」という言葉をみました。 ●16:2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の"幸い"は、あなたのほ かにはありません。」 詩篇16篇は、主への讃美と主に対する信頼を書いており、詩篇92篇と比較的に似 ている。ダビデは主を讃美し、主の御手の業を話し、主に対する堅忍の姿勢を訴 えている。しかし、詩篇16篇には詩篇92篇と違って、敵についての記述はあまり ない。4節で少し言及しているが、その話しが中心ではないのである。詩篇16篇 の中心は主が与えてくださった相続地の祝福のようである。それに対して、詩篇 92篇は敵が裁かれることのようである。 ●34:8, 10, 12, 14 主の"すばらしさ"を味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、"良い"ものに何 一つ欠けることはない。 いのちを喜びとし、"しあわせ"を見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。 悪を離れ、"善"を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。 この詩篇34篇は箴言のような詩篇である。この詩篇でも、ダビデはまず始めに主 を讃美して、主に対する信仰を告白している。詩篇34篇の前半は92篇と似ている が、後半はあまり似ていないように見える。だが、細かくみていくと対比されて いる部分も少しある。幸せをみようと日数の多いのを愛している人々は、青草の ようであり、祝福されていても必ず裁かれてしまう。主に信頼する者は贖い出さ れて、角を高く上げられる。-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkcity.ne.jp