Subject:
詩篇93篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/07/26 10:35
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

93篇の1節にある主の王であるを別の言い方で言うと、主は統べ治められるという言い方になる。
これは前回93篇を学んだときにいっていたことである。
主は統べ治められるということばを聞いたときに出エジプト記15:18節を思い出さなければならない。

出エジプト記15章というのはエジプトからの救いを喜ぶ歌が書かれている箇所である。
93篇の構造は四つにわけるとしても、いろいろなわけかたをすることができる。
カンノパパは六個の四つにするわけかたがあるが、その中でも伊藤将くんのがいいと考える。

将くんのわけかたは1節、2節、3-4節、5節である。1節と3-4節の中はそれぞれ二つにわかれている。
1節の前半は3節と並行している。そして、1節の後半は4節と並行している。
カンノパパの構造はいちようみんなの言っていることを尊重している構造である。

3-4節を見ればわかるように川の話は力をあらわしている。
神様が衣をきていると言っているのは、力をきているということである。
今回の構造はABABの構造が一番考えるのが簡単である。(先週考えた三つの並行型の中で)

5節の「主よ。いつまでも」といったときに、神様がとこしえなのか、聖所がとこしえなのかがわからない。
1-2節は王様について話している。2節の御座がとこしえというのも王様の話である。
1節と2節の堅く立つということばはヘブル語ではちょっと違うが、その並行を見るのはわるくはないだろう。

3-4節の川は流れている力をあらわしているのではなく、音の力をあらわしている。
今回の構造にはABBAの並行型は考えられそうもない。
むりにこじつけるよりかはないと考えたほうがよいだろう。

先週はABABの並行型を考えるのにもすごくこまった。結局こじつけの構造になってしまった。
神様の力は破壊する力ではない。さばきは変わらないという力である。
地震が来ても、家がゆるがないというのは、その家に力があるからである。

だからといって家が歩いていってその力によってほかの家をつぶすわけではない。
神様の力はすべてことばにある。キリストのことばに力があったため、人々は驚いた。
主は力強い支配者、その力はことばにある、ことばの支配によって世界は堅くたつということは主は王であることをあらわす。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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