+ちゃんくんです。
大水のとどろきについて見ました。
大水のとどろきというのは神様の声をあらわしている。
大水のとどろきと言ったときの大切な箇所はエゼキエル1:24と43:2節である。
この二つの箇所はどちらとももう聖書研究の中でみた。
エゼキエル1:24節を見たときに連想することがある。
その箇所には天が開けということばがある。
そのことばはキリストがバプテスマをお受けになったときにもあったことばである。
キリストがヨルダン川にきてヨハネによってバプテスマをお受けになって、水からあがられたとき。
天が開け、御霊が鳩のようにおくだりになった。そのあと私の愛する子という声がした。
これはエゼキエル1:24を見たときに連想すべき箇所である。
天が開けるといったときにもう一つ思いださなければならない箇所がある。
それは、使徒行伝7章である。ここはステパノの話が書かれている。
ステパノは人々に説教したあとに、聖霊に満たされた。
彼は天が開け、キリストが神の右の座についておられるのを見た。
人々にそのことをいうと、人々はおこって大声をだしてステパノに殺到した。
天での群衆たちの歌う声は大水のとどろき、滝、雷のようであった。
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+審也@カンノファミリー
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