Subject: 詩篇94篇と詩篇119篇(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/08/10 11:49 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 今日の詩篇研究では詩篇119篇を通してさばきとみおしえの関係について考え、 それらが詩篇94篇とどのようにつながっているのを見たので、続けてそのことを 考えました。 ■詩篇119:52 ここで詩人は神のさばき、みことばを思い出し、慰められている。彼にとっては 神のみことばのみが慰めである。それで神にもこのみことばを覚えてくださるよ うにと願っている。このことは詩篇94篇では正反対になっている。悪者は神のさ ばきを忘れているので、7節のようなことを言うのである。しかし、神は覚えて おられるので、さばきをなされるのである。 ■詩篇119:62 真夜中であっても詩人は主を賛美するということをこの箇所で言っている。詩人 はどのような時にも神のみことば、さばきを忘れないのである。このことは悪者 がさばきに感謝せずに、それを忘れているということの逆である。 ■詩篇119:75 ここで詩人は主のさばきの義しさを知っていると言っている。詩人は主が必ず正 しいさばきをなされるということを確信しているのである。このことは94:15に でてくる。 ■詩篇119:84 この箇所で悪者がいつさばかれるのかと言って詩人は訴えている。敵は長い間攻 撃しているからである。このことは94篇で詩人が願っていることである。また詩 人が確信していることである。 ------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com May God bless you! -------------------------