+ちゃんくんです。
復讐の神よという言い方をもし今の時代の人が聞くならば、すごく変に思う。
復讐はだめなことだというのは、救いはいらないと言っているのと同じである。
今回の構造も大きく分けて二つにして、その中をそれぞれ二つに分けた。
今回の四つに分けた構造ならば、ABBAの並行型で考えるのがよいだろう。
悪者は神様の教えを一番忌みきらう。人の言ったことに聞き従いたくはない。
今週は特に、12節の位置づけが94篇の中でどうなっているのかを見た。
12節の幸いなるかなは119篇の要約ではないのかと考えた。
それで、119篇を見て、さばきとみおしえの関係について考えた。
119篇に出てくるさばきの箇所を一箇所ずつ見て、94篇ではどうなっているかを見た。
トーラーの詩篇の一番最初は1篇で、次は19篇、その次は119篇である。
94篇をトーラーの詩篇と呼ぶにはちょっと短すぎる。
というのは、94篇ではトーラーについては一節だけしか言われていないからである。
94篇の2節にある高ぶるということばは93篇の1節にあるみいつということばと同じである。
そうすると、詩篇93篇と94篇は並行している詩篇であることがわかる。
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+審也@カンノファミリー
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