Subject:
詩篇95篇「ヘブル書3章と4章」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/08/16 11:43
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

詩篇95:7節の後半から11節までが引用されているヘブル書3章と4章のところを見ました。

3章の7-11節で引用されていて、12節から4:12節まででその意味について説明されている。
3章の13節と7節できょうの意味について説明されている。
きょうということばをつかうときに、さきの日のことをあらわしている。

彼らは安息にはいることはできないというときに、彼らということばが強調されている。
だから、他の人たちはその安息にはいることができることをあらわしている。
例えば、ちゃんくんはお外に遊びにいけないというときに、その他の人たちは遊びに行けるということである。

3章の1節を読むときにそういうわけでという言い方で始まっていることに気がつく。
だから2章を読む。けれどもそういうわけでという言い方でつながっている意味がわからない。

6節のところでキリストは御子として神様の家を正しい治めましたという話をしている。
そしてですからという言い方で7節が始まる。
7節というのは引用のはじまりの節である。

1節でも6節でももし神様の御声を聞くならば、神様の安息に入ることができると言っている。
ヨシュアの時代の人たちは神様の御声を聞かなかったので安息に入ることができなかった。
しかし、もしダビデの時代の者たちが神様の御声を聞くならば、安息に入ることはできる。

だから、神様の御声を聞くことはすごく大切なことである。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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