Subject:
詩篇96篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/08/24 10:21
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

良い知らせというのはイザヤ書のなかでメサイアがこの世に来られるということである。
96篇では詩人は良い知らせというのが何だと思っているのか。
主は王であるということが96篇の中での良い知らせの内容である。

神様は義をもって地をさばくために、御座につき、とこしえに王となられる。
案一では歌を主に歌えが三回あって、7-9節に主にささげよが三回あるという形を中心していた。
今回考えた構造はABABABのように見えるが、前半と後半にわかれていて、ABA,BABになっている。

前回は大きく分けて三つにして、ABABABにしていた。
ほんらい力と栄光は天であらわされるはずだが、全世界でも主は王であるということがさばきによってあらわされている。
新しい歌の内容は主は王ということである。

29篇では神様が歌っている。なぜなら、主の声という言い方が何回も出てくるからだ。
内容は96篇と同じだが、新しい歌を歌っている人が違う。
29篇は神様が歌っているが、96篇ではすべての国々の民が新しい歌を歌っている。

96篇といっしょに見なければならない詩篇は98篇である。
98篇をもし大きく分けて二つにするならば、1-3節と4-9節になる。
1-3節のところでは新しい歌を歌えということはちょっとしか書かれていない。

しかし、主は民を救われるということは長く書かれている。
4-9節では反対に4ー8節で歌について話て、9節でさばきについて話す。
98篇ではどこで何をやっているという場所についての話は一回も書かれていない。

しかし、王の御前でという言い方はあるが、主の家をあらわす言い方はない。
良い知らせというのは主が王様であるということである。
主が王様であるということはなぜ、そんなに良い知らせなのか。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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