+ちゃんくんです。
98篇と96篇の内容はすごく似ているが、構造を見たときには形が違うことがわかる。
96篇では栄光ということばがたくさん使われていたが、98篇にはぜんぜん出てこない。
また、96篇には神様の住まいについても言われていた。
98篇では楽器がかなり強調されている。ラッパ、立琴、角笛。
第四巻には実は立琴ということばは出てこない。第五巻には出てくる。
第四巻の中で92篇と98篇にしか立琴ということばは出てこない。
だからといって第五巻にたくさんあるかというと思っていたよりもない。
まず第四巻全体の構造を見なければならない。
今考えている第四巻全体の構造がまちがっているのなら、いく方向がかわってしまう。
95篇と100篇の言い方はまったくいっしょである。
主は造られた、主のものである、御前に行く、主に向かって喜ぶというテーマが95篇100篇に出てくる。
まずはまったくいっしょの言い方になっているところから見ていかなければならない。
これはこういう意味であるというところも最初から見ていたのなら目がまわってしまう。
96篇と98篇が似すぎているというところがこまるところである。
ある本の人が98篇とイザヤ書40-66章と似ていると言っている。これは今日の宿題である。
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+審也@カンノファミリー
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