Subject: 詩篇98篇 比較: イザヤ書40-66章(将) |
From: Shou Itou |
Date: 2005/09/06 20:10 |
To: "+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 詩篇98篇とイザヤ書40-66章を比較しました。 ・主の栄光が現れる(イザヤ40:5 詩篇98:2) 主の栄光が現れるということは聖書の中で良く出てくるテーマである。これは神 が人間に対して特別啓示を与えるときに用いる。旧約聖書には多く見られ、新約 聖書でも読むことが出来る。98篇での栄光の啓示は義を啓示することであり、こ れは裁きを行われたということであると察することが出来る。 ・主の支配(40:10 98:2) この両方の箇所では主の支配が、その御腕によってなされているということが語 られている。十戒の中にも、力強い御手がイスラエルをエジプトから救い出した という記述がある。主の腕、手は支配を象徴する。 ・讃美(44:23 98:1,4-7) 讃美は詩篇や預言書の中には多いものである。この両節は順番的にも似ている。 すなわち 讃美⇒理由(主が栄光を現されたから) という順番である。イザヤ 44 章の場合は贖いの話しの最後に入っているが、その前までをまとめているのでこ のような順番になっている。 途中です。-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkcity.ne.jp