+ちゃんくんです。
ある注解書で詩篇98篇とイザヤ書40-66章は似ているということを言っていたので、昨日はそのつながりを見た。
イザヤ書42章の10節に主に向かって新しい歌を歌えというテーマが出てくる。
イザヤ書の真ん中には歴史書がある。ヒゼキヤが病気になったというストーリーである。
ラブシャケがヒゼキヤを攻撃したというストーリーはすごくよくイザヤ書をあらわす。
ドーシーさんのイザヤ書の構造はキアスマスで、ABCXC'B'A'になっている。
Xのところは歴史書で、そこには二つのストーリーが入っている。(敵ラブシャケと病気)
40-66章というのはドーシーさんの構造だとしたら後半である。
97篇も98篇と同じようにイザヤ書40-66章とすごく似ている。
新しい天と新しい地という言い方は旧約聖書の中にはイザヤ書の二つしかない。
今日の通読の箇所である詩篇33篇に第四巻にあるテーマが出てきた。
33篇の3節には新しい歌という言い方も出てくる。
イザヤ書40-66章の中には良い知らせということばを何回か出てきた。
主を待ち望むものは新しい力を得ることができる。(イザヤ書40:31)
第四巻にはハレルヤではじまったり、終わったりする詩篇はない。
敵が攻撃しているので、どうか、彼が恥を見るようにというテーマは第四巻にはない。
敵が恥を見るようにというテーマはとくに一巻、二巻にたくさん出てくる。
第三巻には神様の住まい、聖所についての話が多かった。
第五巻の真ん中には119篇というトーラーの詩篇が入っている。
105篇と106篇には第五巻に続くためのテーマがたくさん出てくる。
今98篇を学んでいて一番こまっているのは、96篇に似すぎていることである。
第四巻には92篇と98篇にしか立琴や他の楽器は出てこない。
今日の通読の箇所であった詩篇33篇とのつながりも見なければならない。
主を待ち望むと言ったときに、何もしないで待つわけではない。
敵と戦わなければならないときにはちゃんと行って、戦ってくる。
33篇の1-12節は第四巻的な言い方がある。こんどは13-22節まではイザヤ書的である。
第四巻は神様がやっていることが中心であって、人間の行動は賛美しているぐらいである。
第四巻の中で神様が人間に何かをしなさいと命令しているのはない。
モーセということばが6回も第四巻の中に出てくる。詩篇77:20の他はぜんぶ第四巻である。
モーセがこんなに出てくるということを説くためには黙示録15章を見ればよい。
黙示録15章にモーセと子羊の歌という言い方がある。モーセの歌は出エジプト記15章にある。
恵みということばは93-100篇の中には三回しか出てこない。
第四巻の中に主の御名、聖なる御名という言い方も出てこないわけではないが、あまり多くは出てこない。
-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------