+ちゃんくんです。
主の御名が聖であるという箇所を見ました。
驚いたことに主の御名が聖であると直接書かれている箇所は詩篇111篇の9節にしかない。
主の御名によって、戦う、また家を建てるという箇所はいくつかある。
主の御名によって家を建てるというときに、ソロモンのことをさして言っている。
主の御名によってイスラエルを祝福するという箇所もある。
シェバの女王は神様の御名を聞いて、ソロモンのところに来た。
実際に主の御名ということばは聖書全体の中で63回しか出てこない。
手紙の中で、主の御名によって呼び求めるものはだれでも救われるといっている。
ちゃんくんは新約聖書にキリストが病気をいやすときに御名によってと出てくるかと思った。
しかし、福音書のところではキリストがエルサレムにはいられるときのことしか出ていなかった。
第一ヨハネのところで、主の御名によってあなたの罪は赦されたと言われている。
病気をいやすことと、罪を赦すことはいっしょである。
福音書をよめばわかるように、その人の信仰によって病気がいやされる。
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+審也@カンノファミリー
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