Subject:
詩篇99篇「金曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/09/16 9:13
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

99篇も主は王であるの詩篇である。私たちの王である神は、聖である。
5節と9節が同じであるというところを99篇を最初に見たときに気がつく。
主は聖であるという言い方は5節と9節だけではなく、3節にもある。

普通の詩篇ではわれらのというようなことばは色はぬらない。
しかし、今回の詩篇ではわれらの神、主という言い方を色塗った。
99篇の中にわれらの神、主という言い方が一番よく出てくる。(4回)

構造を考えるときにある人は1-4節と5-9節に分けて、5節と9節が並行していると見た。
しかし、今回の詩篇の構造はすなおに見ると1-5節と6-9節になるのではないかと考えた。
1-4節の中と、6-8節の中はそれぞれ二つずつに分かれている。

前半と後半の最後に5節と9節のコーラスがある。
構造を考えるときに6-8節が最初のところとかなり違うことに気がついた。
前半の1-4節の中は国々を恐れさせる王、その王様は国々の上にいて、その方の聖なる御名、王様の行う正義のさばきということになっている。

6-8節は呼ぶと答える、語ると守るわれらの神は答える、神は赦して報いられるという内容になっている。
私たちの咎を赦して、報いられるというのは約束されたことを守られたということをあらわしている。
前半の結論は足台で、後半の結論は聖なる山である。

ここが前半と後半の大きな違いの一つである。
十戒の一番最初で、あなたは私をエジプトの国、奴隷の家から連れ出したあなたの神、主であると言う。
99篇を1-5節と6-9節の二つの詩篇にわけても、おかしくはない。

-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------