+ちゃんくんです。
100篇の中だけで牧場の羊であるということばを知ることはできない。
羊ということばを聞いたときに、最終的には言ったらそのことばを聞くというところにいく。
第三巻の中に羊ということばが6回も出てくる。(74、77、78×2、79、80篇)
なぜ、第三巻の中にこんなに羊が出てくるのか。第三巻は聖所についての話が多い。
なぜ、羊はどのように聖なる民であるということがあらわされるのか。
神様が選らんでくださったかどうかで聖なる民かどうかがわかる。
申命記7章6節に私はあなたがたを選んで、聖なる民としたということがある。
出エジプト記19:4-6節に、もし御声を聞くならば、私はあなたがたを聖なる民とするということも言われている。
羊と羊飼いのたとえはエゼキエル34章とヨハネによる福音書10章にある。
この二つの箇所で羊は羊飼いの声を聞き分けるということが言われている。
その羊の牧者でない者の声は聞かない。
ヨハネによる福音書10章に門からはいる者がその人の牧者であるということが言われている。
私たちの牧者であられる神の御座はとこしえまで。
いくら偉大な王様であっても、その王様の齢が短ければ、それはだめである。
良い王様であったため、国が平和であるということはソロモンのストーリーによってあらわされる。
ダビデが戦っていてくれたために、ソロモンの時代は平和であった。
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+審也@カンノファミリー
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