+ちゃんくんです。
100篇は第四巻の中でクライマックスだと言われている。
今回の構造も大きく分けて二つにして、その中を四つにわけて、ABABにした。
100篇には喜びということばが三回出てくるが、しかし、ヘブル語ではそれぞれ違うことばになっている。
今週はそれぞれの喜びの違いについては研究はしなかった。
3節と5節の頭にはキーという接続がある。3節と5節はすごく似ている。
その恵みはとこしえまでという言い方は、136篇に何回も出てくる。歴史書にも出てくる。
3節で私たちは神様の羊であると言われている。
3節に民の神、神の民という関係がある。(主こそ神、主の民)
その恵みはとこしえまでという言い方は出エジプト記20章の十戒の中に出てくる。
今回研究した中ではこれが一番最初の箇所かなというところである。
みんなもよくしっている主の御名の出エジプト記34章にもその恵みはとこしえまでという言い方が出てくる。
エレミヤ書33章で捕囚から帰ってきたものたちが、もう一度その恵みはとこしえまでと歌うということが預言されている。
エズラ書3章のところで、エレミヤ書の預言が成就している。
黙示録22:21節(聖書の最後の行)にもその恵みはとこしえまでという言い方が出てくる。
手紙の始まりも終わりにもその恵みはとこしえまでという言い方をあらわす別の言い方が出てくる。
大きなさばきがあって、王様がかわって、幕屋、神殿も再建されたときにその恵みはとこしえまでと歌う。
モーセのときは出エジプト、ダビデの時代は出ペリシテ、帝国の時代は出バビロン、主イエス・キリストの時代は出旧天旧地である。
出エジプト記15章にあるモーセの歌は主に向かって歌えという言い方で始まっている。
その恵みはとこしえまでという言い方が王様に対して言っていることであることを忘れてはならない。
神様から与えられた命令を聞く人こそが神様の宝の民である。
羊のたとえが使われているエゼキエル34章とヨハネ10章でも呼んだら答えるという関係が出ている。
100篇の5節のいつくしみということばはヘブル語では善ということばである。
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+審也@カンノファミリー
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