Subject:
詩篇101篇「101篇+102篇と90篇のつながり」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/09/29 11:17
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

詩篇101篇+102篇と90篇のつながりを見ました。

101篇では民は私とともに住むということを言っている。
しかし、90篇では神様は住まいであるということが言われている。
90篇を見たときには齢が短いということがすごく目立つ。
しかし、大切なテーマというのは神様が住まいであるということである。
その聖なる住まいにだれが住むことができるのか。
答えは24篇また、15篇、101篇にある。
手がきよく、心がきよらかなもの、そのたましいをむなしいことに向かないもの。
そのようなものが聖なる山に住むことができる。
101篇では3節と4節にこのことが書かれている。この王様は悪を知ろうともしない。

90篇で神様に帰って来て下さいと頼んでいる。
101篇では神様に来て下さいといっている。
この二つのテーマは違う言い方だけであって同じ事を言っている。
火曜日の手がかりのときにもやったように、100篇では神様が私たちに来なさいと言っている。
黙示録の最後のところでは私たちは神様に来て下さいと願っている。
90篇の3節では別の意味で「人の子らよ。帰れ」ということが言われている。
この時にはちりに帰れということを言っている。

101篇では私は国の中にいる悪者どもを滅ぼしますと言っている。
90篇では私たちは神様の怒りによって滅ぼされるものですということを認めている。

102篇の23節のところで、あなたは私の日数を短くされましたと言っている。
90篇でも人の日数は短いというテーマがすごく目立つ。
それに対して90篇でも102篇でも神様は代々にいたりますということが言われている。

101篇の8節でも90篇の5節から6節でも朝にどうなるということが言われている。
101篇の場合は朝ごとに悪者どもをことごとく滅ぼすということを言っていて、
90篇では人はむなしく、朝は花を咲かせているが、夕べには枯れるということが言われている。
90篇の場合は14節に朝にはあなたの恵みで満ちたらせてくださいということがある。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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