Subject:
詩篇101篇 朝にある救い
From:
"Mikuni Kanno" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2005/09/29 11:24
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+みくにです。

8節に、朝に国の悪者を滅ぼすと書いてあったので、朝に救いがあると言うことを詩篇から探してみました。

・詩篇49:14 この前の節で愚か者の話をしているので、
彼らとは愚か者のことを考えて良いと思う。
朝には、直ぐな人たちが彼らを支配するようになる。

・詩篇55:17 わたしは一日中(朝、昼、晩)主に向かって嘆く。
すると、主は私の声を聞いて救ってくださる。

・詩篇65:8 地の果て果てに住む者も主の様々なしるしを恐れる。
主は彼らが朝と夕べにおこることを歌うようにされる。

・詩篇73:14 この箇所は朝に救われると言うことと全く反対である。
朝ごとに責められている。

・詩篇90:5 この詩篇は101篇と並行していると思われる詩篇である。
朝、人は移ろう草のようである。

・詩篇90:6 朝は、花を咲かせているが、
夕べにはしおれて枯れてしまう。これは、朝顔である。朝顔は朝に花が咲く。

・詩篇90:14 朝には恵みで満ち足らせてくださいと言っている。
この詩篇には、朝ということばが繰り返して3回ほど出てきている。

・詩篇92:2 朝に主の恵みを言い表すことは良いことである。
夜には、主に真実を言い表す。

・詩篇143:8 朝に主の恵みを聞かせて下さいと言っている。
私に行くべき道を教えてください。
詩篇101篇では、詩人が全き道に心をとめ、正しい心で歩んでいる。

■まとめ:

聖書のパターンに夜問題が来て、朝に解決することが多い。結構詩篇にもそのテーマが出てくるので探して見た。すると、90,92,143篇が探しているような詩篇であった。朝に主の恵みが与えられる。詩篇30:6に朝明けには喜びの叫びがあると書いてあるが、この箇所も同じテーマである。