+ちゃんくんです。
詩篇101篇には色塗りすることばが多かった。
101篇では神様がこうするということは言われていない。私はこうするということが強調されている。
今回の構造も今までどおりに、四つにわけることができるのかと思っていた。
しかし、1節があったためにそのようにはできなかった。
構造を考えるときには1節を別にするほうがいいだろう。
1節だけではなく、最後にまたコーラスがあれば、サンドイッチでよかったのに。
103篇、104篇、105篇、106篇には最初と最後にちゃんとコーラスがついている。
ただ、賛美しているだけではない。神様に祈るときにも、その願いがかなえらえるまで何もしないで待つということではない。
神様を賛美する人は実際に2-8節に書かれていることを行う人である。
2-5節は神様と王様の関係で、6-8節は王様と民の関係である。
王様は神様に対しても忠実であって、また、民に対しても忠実である。
王様が神様に対して忠実であるということは、神様が王様に対して忠実であるということが前提になっている。
私たちも王様であるので、101篇に書かれているようなことをしなければならない。
キリストが成就してくださったからと言って、それで終わってよいわけではない。
100篇では神様が来なさいと言っている。しかし、101篇では神様に来てくださいと言っている。
実は90篇とのつながりも見なければならなかった。
90篇は101篇とはぜんぜん似ているようには見えない。
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+審也@カンノファミリー
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