Subject: 詩篇102篇 苦しみの詩篇(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/10/04 12:02 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 この詩篇の前半にあるようにとても苦しんでいる者たちの祈りがでてくる詩篇は 他にもあるので、それらの詩篇と比べました。 ■6篇 この詩篇で詩人は苦しんでいるが、それは神の怒りのためである。神は詩人に対 して怒り、離れてしまったので、敵が攻撃している。しかし、祈りが聞かれた時 に敵は離れていくのである。 102篇で苦しみと救いで対比されているのは、人間が青菜のようにしおれること と、神が永遠であること、神が永遠にしてくださることである。しかし、6篇で 対比されているのは、怒りの時は神が詩人から離れていて、敵が詩人と共にいた が、救われた時には神が共にいて、敵が離れるということである。両方の詩篇で 共通しているのは神が祈りを聞いてくださったということである。 ■22篇 この箇所は主イエス・キリストによって直接成就された詩篇として有名である。 この詩篇は最初にわが神と言って呼びかける所から始まる。彼は助けを求めてい るが、主に信頼する。それは先祖たちも主によって救われたからである。それで 答えてくださった時に主を賛美するのである。 22篇は102篇に似ていて、類似しているテーマがたくさんある。詩人が虫けらで あること、体がぼろぼろになっていること、救いを賛美していること、主が王で あることなどである。この詩篇を通して主が王であることと102篇の関係を考え ることができるかもしれない。 ■32篇 罪を赦された者は幸いであるということからこの詩篇は始まる。詩人は自分の罪 を隠していた悟りのない時は苦しんでいたが、告白した時に赦され、主を賛美す ることになる。この詩篇の特徴は苦しみが罪を告白しなかったためであったこと である。詩人は罪を告白した時には賛美する者に変えられたのである。 ------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com May God bless you! -------------------------