Subject:
詩篇102篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/10/05 10:16
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

13節のあなたは立ち上がりというテーマを見たときに、民数記10章を思い出さなければならない。
モーセは契約の箱が動くときに、「主よ。立ち上がってください」と言っていた。
詩篇102篇は第一巻の詩篇22篇に似ている。

22篇というのはキリストの十字架上での祈りと言われている。
22篇の1節はキリストが十字架上で叫ばれたことばである。
私の叫びは神の御前に届いたという言い方は出エジプト記2章を思い出す。

神様に叫んだというところが出エジプトのストーリーのはじまりである。
神様が御顔を隠されるとおじ惑うというテーマは30篇と90篇と104篇に出てくる。
4節と11節は同じ事を言っている。しかし、4節と9節もパンということばで並行している。

14節に似ている節は21節と22節にある。17節に似ている節は20節にある。
25-28節の中は25-27節と28節で二つに分かれている。
2-11節と23-24節のところに90篇の内容がはいっている。

神様の住まいには民が住めるようになっている。
民が住めないような家は本物の神様の住まいではない。
13-17節と18-22節、どっちが大切なのかというと18-22節のほうである。

エデンの園を見ればわかるように、エデンの園よりも、その中にいる人間のほうが大切である。
悩んでいるときにその叫びが御子に届けば、住まいが完成する。
なんでわざわざ御子のことであると言って、102篇を引用するのか。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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