Subject:
詩篇102篇「22篇、90篇、101篇とのつながり」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/10/05 11:24
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

詩篇102篇と他の詩篇とのつながりを見ました。

■22篇

この詩篇はキリストの十字架上での祈りだと言われている。
それを証明するための一つは1節にわが神、わが神、なぜ、私をお見捨てになったのですかという言い方がある。
22篇で人々はみな主を賛美するということが言われている。
29節で地の裕福な者を食べて満ち足りと言っている。
102篇ではそれの反対に、苦しくてパンを食べることさえ忘れてしまっている。

■90篇

90篇と似ているというための一つとしては私の齢は短いが、神様はとこしえであるということである。
90篇では神様がとこしえに住まいであるということが言われている。
このテーマが90篇の中で一番大切なテーマである。
102篇の場合では私が賛美するようにとは言っていない。人々が賛美するようにと言っている。
しかし、90篇ではそうではなく、私を楽しませてくださいと言っている。
90篇も102篇も神様が御顔を隠しておられるので苦しんでいる。

■101篇

101篇と102篇の状態が正反対である。101篇では私は悪の道から遠ざかりますと言っている。
私をそしるものを私はことごとく滅ぼしますとも言っている。
しかし、102篇では敵のそしりによって詩人が苦しんでいる。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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