Subject:
詩篇102篇 詩篇90篇(将)
From:
Shou Itou
Date:
2005/10/05 16:39
To:
"+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+イトウショウです。

詩篇102篇の中で度々似ている箇所として出てくる、詩篇90篇を見ました。

●流れ

詩篇90篇はモーセが書いた詩篇である。この詩篇でモーセは、基本筋としては人
間が空しいということを主に訴えている。しかし、最初には主を讃美することを
忘れてはいないことが分かる。

●対比

この2つの詩篇は似ている点がたくさんある。

全体的に見て目につくことは「人間は空しい」ということである。モーセは特に
自分のことから、人間が空しいということを知っていた。モーセは神から、エジ
プトに行くように命じられたとき、自分が上手な人間ではないということを説明
した。主はモーセに対して御業を見せて、ご自分に信頼するようにされた。つま
り、人間が空しい、という問題に対する解決は、主に信頼するということなので
ある。

人間は空しいということが両方の詩篇に書かれているが、更に共通して草につい
てや、寿命についての記述がある。イザヤ書40章6-8節にも、人間が草のようで
あるということが書かれており、草のような人間は永遠の言葉を発する主の御手
にある、ということが言われている。このことは、詩篇102:13にある、主の御名
が永遠に及ぶということと似ている。

モーセの例における人間のむなしさの問題の解決は、主に信頼することであった
ように、詩篇102篇でも同じようなことが解決となっている。民は主に信頼して
祈ることによって、主はその祈りを聞いて顧みて、新しく創造してくださるので
ある。

-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkity.ne.jp