Subject:
詩篇102篇 第4巻の中での苦しみ(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/10/06 12:56
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

第4巻にでてくる苦しみとは何かを研究しました。研究していると主の家に住む
ことが解決であるように見える。この時に忘れてはならないのは、第4巻の中心
が主は王であり、私たちは民となることである。そうすると私たちの住む場所は
神の宮殿ということになる。

■90篇

この詩篇は第4巻で102篇に最も似ている詩篇のひとつである。

人間の人生のはかなさが有名な詩篇だが、この詩篇の中心は神が永遠に私たちの
住まいであるという1節である。私たちははかない者であるが、神は永遠であ
り、私たちは神に住むのである。

90篇の構造と102篇の構造は逆であるようにも見える。90篇では最初に住まいで
あることを告白してから、私たちのはかなさについて語り、恵みを求めるが、
102篇では私たちのはかなさについて語ってから神が永遠であること、私たちの
住まいであり、シオンを建ててくださる。

私たちの日が短いのは神の怒りのためであることは90篇で何度も言われている。
それで詩人は解決として神の恵みが与えられ、みわざが確かにされることを求め
る。その恵みとは具体的には神の家に住むことである。

■91篇

この詩篇の詩人は主に信頼し、敵が攻撃してきても、それを恐れず、それが自分
に近づかないことを確信している。それは主が彼を愛してくださっているからで
あり、祈りを聞いてくださるからである。そのことは最初にあるように主の家に
住む、主の隠れ家に住み、避け所に信頼することによって表される。

この詩篇でも解決は主の家に住むことなのである。

■92篇

詩人は主に感謝し、主の恵み、主のみわざを歌っている。それはみわざを知らな
い悪者どもが青草のように滅ぼされ、正しい者が主の家で栄え、実を実らせるた
めである。悪者と正しい者の違いは自分で栄えるか、神によって栄えるかであ
る。悪者は自分で高き所に行って栄えるが、正しい者は神によって高くされ、高
き所に住み、栄えるのである。

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God bless you!
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