Subject:
詩篇103篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/10/11 11:08
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

17節の主の恵みはとこしえからとこしえまでという言い方は、その恵みはとこしえまでという言い方をあらわしている別の言い方である。
14節と18節の心に留めるということばはヘブル語でも同じである。
12節と13節の間を切るか、もしくは14節と15節の間を切るかどっちを切ったほうがよいのか。

イザヤ書40章6節、第一ペテロ1:24-25節には人は草のようだが、神のことばは変わらないということが言われている。
詩篇103篇の中で恵みというのは道とみわざのことである。
今まで、詩篇を学んでくればわかるように、道というのは神様の教えをあらわしている。

昨日は12節と13節の間をわけると罪を赦すあわれみと、ちりにすぎないものに心を留めるあわれみということを考えていた。
11節と17節には同じことばがあって、すごく似ている。また接続詞で始まっている。
第四巻のつながりを見るために表をつくったときには103篇と104篇は91篇に似ていると見た。

103篇の始まり方と終わり方は104篇とまったく同じである。
前半と後半の主をほめたたえよの違いは真ん中をどうするかの手がかりになる。
7節と14節と16節の知らされた、知っている、知らないということばはヘブル語では違う。

12節と13節の間でわけるのか、14節と15節の間でわけるのかで103篇の見るポイントがかわってしまう。
罪の赦しは私たちによるものではないということを強調したときにまちがいが出てくる。
神様の赦しは主を恐れる者に与えられる。私たちは何もしなくてよいというわけではない。

みことばを行うことは神様に対する感謝のあらわれである。
1-5節は死んでたものがもう一度創造されたということを言っている。
キリストの望んでおられることは、御父の命令を行うことである。

1-5節は恵みの神で、20-22節は忠実な民ということにしていた。
13節と14節にその子、恐れる者、心に留めるということばがある。
17-18節に同じように、恐れる者、子らの子、戒めを心に留めるということばがある。

17節の子らの子に及ぶという言い方は代々に至るということをあらわしている。
真ん中をばらばらに分けて見てみるとこまるのは6-7節と19節がとびだしていることである。
1-5節ではなく、1-7節まで、20節から出はなく、19節からにするということも考えることはできる。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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