Subject:
詩篇103篇 人はちりに過ぎない
From:
"Mikuni Kanno" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2005/10/11 11:58
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+みくにです。

人がちりにすぎないと言っている箇所を探しました。

・詩篇90:3-6 神様は人をちりに帰らせられる。また、神様が人を押し流されると、彼らは移ろう草のようになる。朝には花を咲かせているが、夕べには枯れてしまう。

・詩篇8:4 人とは何者なのでしょう。しかし、神様はこれを顧みられる。

・詩篇144:3 ここは、詩篇8篇と言い方が同じ。人とは何者なのでしょう。しかし、神はこれを知っておられる。

・イザヤ書40:6-8 すべての人は草のようだ。主のいぶきが吹くと草は枯れ、花は萎んでしまう。しかし、主のことばは永遠である。

・第一ペテロ1:24-25 人はみな草のようである。しかし、主のことばはとこしえに変わらない。これは、詩篇からの引用なのか?それともイザヤ書からの引用なのか?

・伝道者12:7 ちりはもとの所に帰る(人間のこと)。霊は神様のところに帰る。これは、まさしくそうである。

・創世記3:19 アダムは汗を流して糧を得る。しかし、彼は土から作られたのだから、ちりに帰らなければならない。神様はちりをもってアダムを創造された。