Subject: 詩篇103篇 14-16節 |
From: "Miwaza J. Kanno" <miwaza@miwaza.com> |
Date: 2005/10/11 12:04 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
みーちゃんです。 『人はちりにすぎない』や、『人は草のようである』という箇所を見てみました。 ■創世記3章: 創世記3章19節は、聖書のなかで『人はちりである』という箇所の最初のほう にでてくるものです。そして、最初の箇所は、2章の7節の神様がアダムをちり からつくられたという箇所です。 3章の箇所で神様は、人に呪いを宣告しています。なぜなら、それは、彼らが神 に対して罪を犯したからです。そのさばきとは、彼らが土に帰るということで す。つまり、死ぬということです。なぜなら、彼らはちりにからつくられたの で、死んだらちりに戻るからです。 ■詩篇90篇: 『人は草のようである』という箇所は、第四巻に詩篇103篇意外にもありま す。その一つは、詩篇90篇で、この詩篇で、人の齢は一息のようであり、七十 年、健やかであっても八十年であるということが書かれていますが、そのたとえ として、人はしおれてかれる花や、移ろう草のようであるといわれています。 また、3節には『人はちりにすぎない』という話も出てきます。ここは、創世記 3章と同じで、神様は人をちりに帰らせるということを言っています。 ■1ペテロ1章: 『人は草のようである』という箇所は、実は新約聖書にも引用されています。そ れは、1ペテロ1章24-25節で、著者はここで、新しく生まれた私たちは、 いつまでもかわることのない、神の言葉によって、朽ちない種であるということ を言って、『人は草のようである』の箇所を引用しています。また、この箇所は 「福音の言葉」と呼ばれています。 -------------------------------------- Miwaza J. Kanno miwaza@miwaza.com http://miwaza.com God be with you :) --------------------------------------