Subject:
詩篇103篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/10/12 10:11
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

前半にも後半にも主をほめたたえよというコーラスがはいっている。
前半の主をほめたたえるは小さい者をあわれまれる神の恵みということになっている。
後半は民は忠実である主をほめたたえよということになっている。

前半の場合は小さい者をあわれまれる神の恵みというのが理由になっている。
しかし、後半では民が忠実であるというのは理由にはなっていない。
民が忠実であるということは神様の行っていることをまねしているということである。

主を賛美することはみことばを喜んで行っているか、どうかによってあらわされる。
構造を考えればわかるように6-7節と19節が飛び出している。
よくあるように、6ー7節と20-22節を並行していると考えて、1-5節と19節が並行している考えればよいのではないか。

構造の一番むずかしところは8-18節までの中をどうわけたらよいのか。
13節を前のところにくっつけようとすると14節にキーがある。
11節と12節と13節の形が似ているのでそこをくっつけたい気もする。

でも14節から16節で人はちりのようなものですということが言われている。
どうしてもキーはむししたくないので13節と14節をくっつけなければならない。
病気がなおされるのには理由がある。

最初王様の子供であったものが罪を犯しておっこちた。罪を赦されて王様の子供にもどる。
平民に戻るというわけではない。最初王様であった子供であるので、王様の子供に戻る。
天の御国は王様だらけであって、みんな義の王様である。

103篇から神様と民の正しい関係について教えられる。
11節と17節は同じことばがあって、似ているがその並行はどなっているのか。
14節と18節の最後にある心に留めるという言い方についても見なければならない。

神様が私たちに行ってくださったように、私たちも行うということが神様が求めておられるところ、また命令である。
神様は私たちの罪と怒りをいつまでも覚えてはおられない。しかし恵みはいつまでも覚えておられる。
私たちの場合は神様からの恵みを忘れて、罪にはしってしまう。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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