Subject:
詩篇103篇 罪を赦し、高く上げる(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/10/12 11:32
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

神が私たちを救ってくださることは素晴らしいことであり、感謝すべきことであ
るが、具体的には何をしてくださるのだろうか。

私たちは「救い」、「贖い」について考える時にただ単に罪が赦されることだけ
を考えてしまう。ほとんどの場合、詩篇103篇を読む時にも「神が私たちの罪を
赦してくださったので主をほめたたえよ」と言っているとまとめしまう。しか
し、103篇や、他の詩篇をよく読むなら、罪の赦しだけでは半分だということが
分かる。

救いのもう半分は「高く上げる」ということである。高く上げるということを別
の言い方で言うと、冠をかぶらせ、良いもので満たし、恵みを与えてくださると
いうことになる。神は私たちの罪を赦すだけではなく、祝福で満たしてくださる
のである。罪を赦すことについてよく考えるなら祝福を与えることも含まれるこ
とが分かる。

このことは負債を負った者のことを考えればよく分かる。負債を負った者は債務
者からその借金を免除される。しかし、免除されただけでは、また借金をしなけ
れば生きていけない。それで神は私たちにたくさんの祝福を与え、ご自分の家に
住ませてくださるのである。神は王として、弱く、貧しい私たちを救って、ご自
分の宮殿に住まわせてくださる。それによって私たちは神の子となり、神と一緒
に支配する者となる。これが本物の救いである。

本物の救いが罪を赦し、王の子にして祝福を与えてくださることであるなら、悪
者に対するさばきは明らかである。悪者を別の言い方で言うなら、神に反逆する
者たちとなる。彼らは「神はいない」と言って、自分たちを神とする。彼らは自
分のことは自分で救えると思って傲慢になっている。しかし、主は彼らに対して
正義のさばきを行い、もみがら、野の花のようにさばかれる。

悪者は自分たちで高くなろうとするが、正しい者は何をするのか。その答えは
103篇にある。最後の段落で正しい者は主を賛美し、みことばに聞き従うように
と言われている。神を王とし、その方の声を聞いて、賛美によって応答するなら
神は答えてくださるのである。それで103篇では最初と最後に「わがたましい
よ。主をほめたたえよ」という言い方があるのである。

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God bless you!
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