Subject:
詩篇103篇 マリヤの祈りとの関係
From:
"Mikuni Kanno" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2005/10/13 10:40
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+みくにです。

詩篇103篇とマリヤの祈りの関係を忘れていたので、つながりを見ました。

最初にはわがたましいよ。主をほめたたえよという言い方で始まっている。マリヤの祈りを見るときには、ザカリヤの預言も一緒に見るべきである(わざわざ並行しているようにかかれている)。

神はまた、低い者を高く引き上げてくださる。詩篇103の最初でも、穴から引き上げると言うことが書かれている。また、主のあわれみは主を恐れる者に注がれている。

ザカリヤの預言では、神の民に罪の赦しによる救いを与えるためであるといっている。これもまた、神の深いあわれみによるものであり、平和に導いてくださる道である。

似ているテーマ:
・わがたましいは主をあがめる。
・主のあわれみは主を恐れる者に及ぶ。
・主は低い者を高く引き上げてくださる。
・あわれみをいつまでも忘れないで覚えてくださる。
・罪の赦しによる救いを与える(あわれみによる)。

マリヤが心に留めるということには興味がある。二回ほど出てきている。最初はルカ2:19である。ここで、羊飼いたちが幼子を見に来て、彼らの話を聞いている。人々は非常に驚いていたが、マリヤはこれらのことを心に留めておいた。

2回目は、ルカ2:51である。イエスが十二才になられたとき、祭りの期間に都に上った。そのとき、両親はイエスがどこにいるか分からなくなってしまった。しかし、引き返して探したとき、彼が宮で教えたりしていたのを見て驚いた。しかし、マリヤはこれらのことを心に留めておいた。

ザカリヤの「ザカル」ということばはヘブル語で「覚える」という意味である。