+ちゃんくんです。
主の良くして下さったことを何一つ忘れなという言い方はプレゼントをいっぱいもらったなという意味で言われているのではない。
今週の詩篇は同じことばの繰り返しがいっぱいあったので、すごくまよった。
詩篇103篇を見ていくときに、6-7節と19節がながれの中でとびだしているように見える。
しかし、見ていくときに1-7節と19-22節にすべてということばが何回もあることがわかる。
8-18節の中をどのようにきればよいのかはすごくこまった。
12節と13節の間できるのか、もしくは14節と15節の間できるのか。どっちにしようか。
最初は前半は王様で、後半は民の神民の関係になっているのかと見ていた。
しかし、今日もう一度見たところでそうではないことに気がついた。
8-12節の中はABABで、13-18節の中はABBAになっていると考えた。
8-12節にある罪の赦しと13-18節にあるちりにすぎないものに心を留めることのつながりは何か?
罪の赦しは善と悪の問題で、ちりにすぎないものに心を留めることはいのちの問題である。
ちりにすぎないものに心を留めることがいのちに関係しているということは創世記からわかる。
神様はちりで人の形をつくり、それにいのちの息をふきこまれた。
善と悪の問題、またいのちの問題に対する解決は主の聖なる御名にある。
8-12節は十字架で、13-18節は復活のことを言っている。
このように8-18節の中をまとめることはできるのではないかと考えた。
罪の悔い改めだけで終わるのではない、後に感謝がなければならない。
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+審也@カンノファミリー
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