+ちゃんくんです。
詩篇105篇と106篇は同じ時代のイスラエルについて言っている。
105篇は民が成功している方のことを言っていて、106篇は民の失敗が言われている。
105篇の1節から15節までは第一歴代誌16章8節から22節までにはいっている。
第一歴代誌16章の中では105篇と96篇と106篇が歌われている。96篇はまるごとである。
ヨセフの箇所では選びについての話が書かれている。
しかし、モーセの箇所ではさばきについての話が長く書かれている。
今回の構造はいつもどおり前半と後半にわけてその中をまた四つにわけた。
こまったところは42節の頭にキーがあるというところである。
最初は41節と42節を分けて考えていた。でもキーがあるということで考え直した。
そうしたら、もっとよい分け方、つながりがわかった。
パロをさばいているということはイスラエルを選び出すためである。
選び出すこととさばきを行うことは同じことである。このことは創造の時から言われている。
ヨセフは人間が増えるということで祝福があらわされている。
モーセの場合は神様の民が連れ出されるということで祝福があらわされている。
105篇の最後45節は106篇につながっている。
王様の支配について言われている第四巻の結論はハレルヤである。
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+審也@カンノファミリー
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