Subject:
詩篇106篇 構造(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/11/01 12:13
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

この詩篇の構造を考える時に大切な手がかりは、

・1節と47, 48節は第1歴代誌16:34-36と同じ言い方であること
・6-46にはイスラエルの歴史について具体的に書かれていること
・6-46の間にある節がほとんど「そして」という接続詞でつながっていること
・みことばを信じていたが (12節)、みことばを信じなかったというように変
わってしまったこと (24節)
・神が覚えること (45節)と、民が忘れること (7, 13, 21, 22節)が対比されて
いること
・神は怒っていたが (23, 29, 32, 40節)、あわれみを与えてくださったこと
(45, 46節)
・神は怒って散らされたので (27節)、集めてくださいと願っていること (47節)。
・民は汚れているが (38, 39節)、神は聖であること (47節)
・モーセも、ピネハスも神と民の間に立って取りなしをしたので、神罰はやんだ
こと(23, 30節)
・48節は巻物の最後にある言い方であること

などである。

これらのことをふまえて構造を考えると次のようになる。

A 1 ハレルヤ、善であり、恵みなる主に感謝せよ

	B 2-5 覚えて、救ってくださるなら、そのみわざを語り、誇ることができる

		C 6-46 神のみわざと民の反逆

	B 47 感謝し、勝ち誇るために、私たちを救ってください

A 48 イスラエルの神はほむべきかな、ハレルヤ

1節と48節は決まった賛美への招きの言い方として分けることができるので、対
比しているというように考えることができる。2-5と47節では神の救い、みわざ
が行われることを願っている。両方とも理由として、神を賛美し、神を誇ること
をあげている。そして中心に神が昔なさってくださったみわざと民の反逆がある。

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God bless you!
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