Subject:
詩篇106篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/11/02 10:56
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

106篇には接続詞がありすぎて、どこできればいいのかこまってしまう。
反対に接続詞がない節のほうが少ない。(1-7節、13節、17節、21-22節、27節、34節、43節、47節、48節)

今日は105篇と106篇のつながりを見なければならない。

3節の幸いなことよというところだけを聞いても、ぜんぜん106篇を連想しない。
106篇と3節のつながりはどのようになっているのか。
3節のようなさばきを守っている人というのは106篇にはピネハスぐらいしか出てこない。

ピネハスについてもあまり長く書かれているわけでもない。
2節は質問をしていて、3節でそれに対して幸いなことよと答えている。

2節と3節は24篇と15篇の形にすごく似ている。
4節と5節の形と47節の形は同じである。「救ってください。誇るために。」

5節の「選ばれたの者たちがしあわせを見る」のしあわせは善ということばである。
2節と3節は106篇の中で大切な節である。

106篇の中に出てくるイスラエルは2節と3節の反対である。
106篇で言われているストーリーはみんなよく知っている出来事である。
罪、不義、悪について知らなければ、106篇で言われていることを理解することはできない。

バアル・ペオルはモアブの神である。(民数記25章に書かれている)

モーセのメリバ事件が106篇の構造を考えるときに邪魔のような気もする。
最初金の子牛のときにはモーセが立ったので救われた。
二回目、バアルペオルのときはピネハスが立ったので救われた。
三度目メリバでの水の事件のときにはモーセが失敗してしまった。

12節で一時的にイスラエルはみことばを信じたが、それがほんとの恐れではなかったので、すぐに忘れた。
2-3節は105篇の中で言われているということになる。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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