+ちゃんくんです。
106篇は第四巻の終わりで、すごく105篇と似ている。
106篇はずっと接続詞があって、接続詞の節のほうが少ないぐらいである。
出だしも終わりも中身も105篇と106篇は同じである。
どちらでもイスラエルのモーセの時代の歴史が話されているからである。
105篇でも106篇でもハムの地でという言い方が目立つ。
106篇にはピネハスが出てくる。彼はモーセの時代に生きていた祭司である。
ピネハスは神に選ばれたものアロンの子供である。
神様は契約を覚えておられたということが105篇と106篇の解決である。
106篇は構造を分けるときに接続詞がいっぱいあるのですごくこまった。
106篇は契約の箱が宮に運び込まれたときに歌われた詩篇である。
このことは第一歴代誌16章に記されている。
第一歴代誌16章では詩篇106篇と105篇と96篇が歌われている。
神様が約束されたことを信じないということが不義である。
105篇は契約の箱の中にあるパンをあらわしていて、106篇は契約の箱の中にある杖をあらわしている。
105篇と106篇に書かれている歴史は神様は契約を覚えておられたということをあらわしている。
ヨセフはだれが本物の神様なのかという戦いでパロに勝つことができた。
105篇の出だしと106篇の終わりがいっしょで、105篇の終わりと106篇の出だしがいっしょである。
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+審也@カンノファミリー
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