Subject:
詩篇107篇「金曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/11/11 10:17
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

苦しみの時に神様に叫ばないと私たちは救われない。

私たちは苦しみの中にいるのに、自分が苦しんでいることを認めようとしない。
神様は強制的に私たちをその苦しみの中から救って下さる。
ヨブは罪を悔い改めるというよりも、神様に叫ぶほうが中心である。

ヨブの三人の友達はヨブに罪を悔い改めなさいとずっと言う。
罪人が神様に感謝するためには試練を通してでなければ深まらない。

107篇には二つのくり返されている言い方がある。
この言い方を中心にして見ていくときに、形が似ていることがわかる。

くり返されている言い方が四つあるので、四つに分けて最初構造を考えていた。
しかし、33-42節にその言い方がないのですごくこまってしまった。
1節と43節は並行していると考えることができる。構造では包み紙のようなものである。

それで、33-42節は前の四つのことがその中でもう一度言われていると考えた。
33-39節までは前半の二つについて言っていて、40-42節までは後半の二つについて言っている。
39節でわける理由は40節の頭には接続詞がないからである。

「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」という言い方はハレルヤの長いバージョンだと考えた。
知恵のあるものといったときに、何かの特別なテクニックがあると言っているわけではない。

主に感謝するということから離れないということが知恵のあるものである。
また43節の知恵のあるものはだれかという言い方はアーメンの別の言い方だと考えた。
第四巻の105篇と106篇とも107篇はつながっている。

106篇の最後で私たちを集め、感謝し、誉れを勝ち誇れるようにと言っている。
107篇でその願いが聞き入れられ、集められ、感謝するようにされ、敵から贖われた。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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