+みくにです。
弁証学#22のクラスをまとめました。
2005年11月15日 弁証学#22 講義#3
神さまご自身の契約の愛は、究極的に倫理の基準である。
契約的に倫理を考えることは、関係的に倫理を考えると言うことである。
三位一体と美について。
クリスチャンの観点から考えている人は、少ない。
神さまの美しさについてはほとんど出てこない。しかし、ジョナサン・エドワードという人はそこを非常に強調した人である。
真剣に美を三位一体の観点から考えることはなかなかない。
美を考えるときに、まず一番基本的な単純なレベルで考えなければならない。
一と多の調和がなければ美もなくなってしまう。
美しさは違いを要求する。すべての被造物が全く同じ色などで、同じ形であったら、美しさはなくなる。
同時に、関係がなければならない。一致がなければならない。
美しさの基準が存在しなければならない。一と多の両方の面があるということでなければならない。
三位一体なる神さまが世界を創造していなければ、美しさはいったいどこからくるのか??
これも、攻撃される所である。もし、神さまご自身の存在において違いがないならば??
三位一体なる神さまでなければ一と多の説明、一と多の側面を持っている世界がどのようなものであるかを説明することが出来ない。