+ちゃんくんです。
今日の通読のエレミヤ書に四方八方から苦しみが来ているということが書かれていた。
そのときにイスラエルは人の救いを求めてしまった。
しかし108篇の12節に人の救いはむなしいものですということが言われている。
10節のだれがエドムまで導くでしょうと言っているのは戦いの話である。
旅行にだれが連れて行くでしょうという話をしているわけではない。
注解書の中でも106篇と107篇はつながっているということは言われている。
109篇、110篇はまた108篇とはちょっと内容がかわる。
しかし、108篇と109篇と110篇はいっしょに見なければならない。
このことは第五巻の表を作ればわかる。
108篇と109篇と110篇にはダビデの賛歌という題がついている。
119篇は第五巻のハレルヤサンドの詩篇の中で言われている。
109篇は十字架と復活で、110篇は御父の右の座につくということが言われている。
ということは108篇は何のことを言っているのか。
108篇はキリストの誕生のことを言っているのか。
2節の十弦の琴と立琴は天の軍勢のことをあらわしているということが言える。
キリストが誕生したときに天の軍勢が天で賛美をしていた。
7-9節は愛する子に全部をあげますということが言われている。
それを与えるのは人の力によるものではない。
サタンは荒野でキリストを試す。もし私を拝むなら今見ているもの全部をあげますと。
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+審也@カンノファミリー
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